ダンスアンバサダーⓇ 

田中由美子ダンスアンバサダー

社会資源としてのダンス「ダンス・アンバサダーⓇ」

 

「まずダンス。そして、対話」~ダンス・アンバサダーのスタート

アフリカのマナーは、まず、ダンスを踊ること。アフリカでは、それぞれの民族、集団が自分たちのダンスを持っていますから、まず、相手に伝えたい気持ちを込めてダンスを踊る。その後に、対話をします」、そう聞いた時に、「あ、これだ!」と思ったんです。ダンスは人間の表現の基本なのだから、ダンスを通じて、もっともっと人をつなぐことはできないか。もっともっとダンスを生活の中に入れていくことができないか。「ダンス・アンバサダー(Dance Ambassador、ダンス大使)」という名前のスタートは、ここ。ダンスで人をつなぎたい。そして、ダンスを広めていきたい。だから、「アンバサダー」だ!と。

 「アフリカのマナーはダンス」と教えてくださったのは、2014年、浦安で開かれた「ワールド・ダンス・コングレス2014」の実行委員でユネスコ国際ダンスカウンシル東京の顧問の方。ベナン共和国出身の方です。ダンスがアフリカの文化の中でどれだけ大切か、ということを聞いていると、「日本はどうしてこんなに、からだを動かして表現することから遠ざかってしまったんだろう」と思って。ダンスは、特別なものではないし、特別な人のものでもないのに…。身体は嘘をつかないから、ダンスを踊れば、今、その人が「本当に感じていること」が見える。嘘をつこうとしていたら身体は動きにくくなって、それも外から見えてしまう。自分でも、ぎくしゃくしているのが感じられるはず。ダンスは、人間の対話そのもの。自分との対話であり、他人との対話でもあるんですよね。でも、日本からはダンスがどんどんなくなっている感じがしていて…。

ダンスで学んだ考え方や身のこなしは、日常生活でもしっかり役立てることができます。というか、ダンスはじょうずにできて、発表会はうまくこなせても、ダンスで学んだことを日常生活で活かせないのなら、それは嘘だと思う。そういう人のダンスは、誰が見ても「本物」には見えないから。嘘なのが、すぐにわかってしまう。見せかけの人間関係って、外から見ていても気持ちが悪いし、本人たちもきっと気持ちが悪いはず。それと同じですよね。日常生活にダンスが活きてこなかったら、本物じゃない。言い換えれば、ダンスの上手下手とは関係なく、ダンスの要素は日常生活の中で、すごく活かすことができる。

 ダンスは、身体を使って「本気になる」練習をすること。そこで本気になることができるようになれば、普段の生活でも身体を使うことに「本気になれる」、ごく自然に。一度、その練習を真剣にして、「身体を使って本気になること」がどういうことなのかが身体でも頭でも理解できれば、たとえダンスそのものの練習はやめてしまっても、日常で使っていくことができる。ダンスは、そういうものだと私は思っているんです。

 ダンスをしたい、ダンスなのかなんなのかわからないけど、とにかく身体を動かしてみたい、でも、一歩を踏み出せない。そういう方がいたら、ぜひ相談してほしい! ダンスは、みんなのためにある。ダンスをもっともっと親しみやすいものに変えていく、それが私の使命だから。

 

(写真:全英選手権にて。田嶋プロと山本由美子)

 

身体を動かせなくても、ダンスは楽しめる

私は、高齢者施設や病院でもダンスのボランティアをしてきました。たとえば、高齢者施設だと、最初にジルバ・ショー・ダンスを踊って、ストレッチをして、施設に来ていらしている方と手を取りあって踊って、最後は、私が衣装を着て本気の社交ダンスショーをする。「手を取りあって踊る」部分では、草村礼子さんの「夢のダンス」の影響も受けています。

私は、高齢者施設や病院でもダンスのボランティアをしてきました。たとえば、高齢者施設だと、最初にジルバ・ショー・ダンスを踊って、ストレッチをして、施設に来ていらしている方と手を取りあって踊って、最後は、私が衣装を着て本気の社交ダンスショーをする。「手を取りあって踊る」部分では、草村礼子さんの「夢のダンス」の影響も受けています。

「社交ダンスなんて、できるもんか」という顔をして、座っていらっしゃる方もいますよね。反対に、昔使っていたダンス・シューズを大事そうに見せてくれる方もいる。皆さん、さまざまです。だけど、懐メロをかけて踊り始めると、みんな生き生きとして歌を口ずさみ始める。場が和んでくる。そして、普段は立てない人が立ち上がって踊ったり、杖をついて施設に来た人が、帰りは杖なしで帰ったり。…なんなんだろう…。ダンスには、心と身体の間にできてしまっているブロック(障壁)を取り除く効果があるように感じます。実際は身体を動かせるのだけれど、いろいろな心の理由でそれができないようになってしまっている、または、「できない」と思ってしまっているからできない。ダンスは、その「できない」という壁を取り除いてくれるのかもしれません。

精神病棟でのダンスボランティアをする田中由美子
(写真:精神病棟でのダンスボランティア活動)

 

ダンスは、まず、自分のからだをケアしてあげること 

体操と違って、ダンスには、身体を動かすための音楽がありますよね。まず、リズムがある。「自分ひとりで身体を動かすのはおっくうだなあ」「やる気、出ないなあ」と思っても、自分の心が喜ぶ音楽をかけて、音楽の世界に入り込んで身体を動かすと、それだけで気持ちがいい。音楽と一体になると、すごく気持ちがいい。まるで、身体がアンプになったような感じで、音楽を増幅させていくのが感じられて。「ここでこう動かなくちゃ」「こうじゃなきゃダメ」はなくて、「身体のここをこう動かしたい」「この音を拾いたい」、そう思っている自分と対話しながら、直感を活かして動いていく。

 だから、ソロ・ダンスは、自分自身の身体の動き、自分自身(重心、からだの重み、バランス)と地球との接点、自分自身と音楽、リズムとのかかわりを考えながら動いていくこと、と言えるんじゃないかな。普段は、自分の身体がどうなっているのか、まったくかまってあげられなくても、踊る時には、自然とそれを意識するし、意識せざるをえない。そうやって自分の身体に意識を向けられるようになると、「ああ、(身体の)ここがこっているなあ」「ここが気持ちいい」「今日は、このバランスは苦手な感じ」…と、自分の身体を探りながら、気づかってあげることができる。自分の身体、自分の身体と外界のかかわりに意識を向けるということは、自分をケアしているということなのかもしれないと思ったりもします。

 

(写真:モダンバレエを踊る山本由美子 平崎喬子舞踊団にて)

 

社交ダンスにおける性差は、「個性」の違い

ソロ・ダンスとは違って、パートナーと踊る社交ダンスでは、相手に対する信頼や心配り、「他人と踊る」ということに対する自分自身に対する信頼も育てていくことになります。これがないと、他人とダンスを踊ることはできませんから。ソロ・ダンスは、自分の身体、地球、音楽とかかわりあいながら、楽しさを味わっていくこと。社交ダンスは、そこにもうひとつ、かかわりあう相手、わかちあう相手としての「他人」が入ってくるわけです。

社交ダンスというと、男女の性差をきわだたせて踊っているかのような印象もあるかもしれません。でも、実はそうではないんです。社交ダンスでは、それぞれの個性を活かしているだけ。たとえば、社交ダンスの本場であるイギリスは、男女が平等に社会参加している先進国ですよね。実際、社交ダンスをしているカップルは、していないカップルよりも家事の分担が自然に行われているように感じることが多々あります。

 「男性がリードして、女性がそれに従う」、これが社交ダンスと思われている節もありますが、リードに従うかどうかは、フォロアー(従う側)の気持ち次第。無理やり力ずくで男性がリードしても、女性は動かない。男性がリードし、女性がフォローすると、今度は女性の動き自体がリードとなって、男性がフォローをする。そのフォローがまた、次のリードとなり…。これが社交ダンスですから、ダンス・パートナーの間には、どちらが優位ということはないんです。男女が共に力を出しあって、ひとつの踊りを共に作りあげていく、そういう意味では、男女の協働、今、日本で盛んに言われている「男女共同参画」を体現しているとも言えますね、社交ダンスは。

 

(写真:男女のかけ引きを表現するルンバ 三浦プロと山本由美子)

 

現役時代から社会と関わることが大切

今の時代は、自分の専門分野の中にいるだけではなくて、専門の知識や技術をもって、別の世界にどんどんかかわることがとても大事だと思うんですよね。ダンスのプロであれば、自分のダンスの才能を、自分のために使うだけではなく、他の人たちにもシェアしていくこと。たとえば、レッスン・プロは、生徒さんをうまくするのが仕事。パフォーマーは、人を楽しませる演技をするのが仕事。競技選手は、競技会で良い成績をとれるように努力する。…どれも、プロとしては大切だけど、その業界だけで完結してしまうのではなくて、技術や知識、才能を他の分野で活かしていく、それこそ、人類に広く貢献していく、そうやって視点を変えてみることをお勧めしたいと思っているんです、ダンス・アンバサダーとしては。

 現役を退いたら社会貢献を考える、というのもひとつの方法かもしれないけど、私は、現役中に社会貢献をするからこそ、自分自身が得られるもの、ダンスに活かせるものもたくさんあると感じている。

私の場合、福祉の仕事にもずっと興味があったんですね。でも、実際にはまったくできていなかった。「それなら!」と思って、私が当時住んでいた市内の施設に「ダンスのボランティアします」とチラシをファックスしてみたんです。そうしたら、数件でしたけど、返事があった。そこから、福祉施設や病院とのつながりができていって…、実際にボランティアをしてみたら、私自身、学ぶことがすごくありました。それに、ボランティアでいろいろな方たちとかかわっていると、うかがった先からも感謝していただける。競技会で、「他人からの評価」に振り回されているのとは、まったく違う実感があるんですよね。「私がしていることには、こんな価値もあるんだ!」という実感。

現役中の、競技しか見えない時にこそ、逆に、意識してしっかりとまわりを見渡すことが、現役後も輝ける居場所をつくる、みつけることにつながるんだと思います。昔だったら、「引退後は教室オープン」だったのでしょうけど、今、それはほんの一握りの人にしかできない。教室をオープンして、オーナーになって、悠々自適、というのが、これまでの社交ダンスのプロの道筋だったのかもしれないけど、今は一人ひとり、「それが本当に、自分のしたいことなのか」って考えるべき時期に来ているのかもしれません。だからこそ、社会貢献という仕事の視点も、ダンサーは持つべきだと思う。

 

ダンスボランティでダンスパフォーマンスをする田中由美子
(写真:ダンスボランティでダンスパフォーマンス)

 

ダンサーは、社会に還元できるものをたくさん持っている

 ダンサーは、身一つ、ですよね。身体のどこかが故障したら、もう食べていけない。強烈な自己責任の世界。明日はわからない、今日があるだけ。だけど、ダンスが好きだから、好きなダンスが見つかったから、輝ける場所が見つかったから、みんな、ダンスをしている。「安定することが大事」とみんなが思っている今の社会の中で、ダンサーはすごいことをやりとげていると思います。でも、逆に言うと、ダンサーは前しか向いていないから…。まわりもちょっと見渡す時間を持てるといいかな、と。私はたまたま子育てがあったから、自分やまわりを見直し、見渡す時間ができただけなんだけど…。まわりを見渡してみて、社会貢献とか別のビジネスとかを考えてみて、今までのダンスの枠から踏み出せたら、ダンサーはけっこうすごいことができるんじゃないか。私はひそかに、そう思っているんです。

ダンサーは、医学・理学的な知識を持っていないのに、自分の身体と向き合うことで、人が身体を動かしている方法や重心の位置を把握することができる。

 ダンサーは、音楽を学んだわけではないのに、まるで指揮者のように音楽を理解して、音楽をリードしてひっぱっていき、音楽を使って自分の世界観を表現することができる。

 ダンサーは、心理学を学んでいるわけではないのに、目の前の人が緊張しているな、とか、今、伝えても相手には響かないな、とか、目の前の観客やパートナーの心の動きに気づくことができる。

 ダンサーは、何千年も昔から、そして今でも世界中で、さまざまな「神様」に一番近い所で生きている。

 ダンサーって、すごい人たちだと思う。だから、ダンサーの才能と知識と技術を社会に還元すること、シェアすることは、すごく意味のあること。ダンサーが「あたりまえ」と思っていて、世の中の誰も知らないことが、実はたくさんあることに、私自身もこの数年間で気がついてきた。

そして、ダンサーがダンスの外の社会にどんどん出ていくことで、ダンサーも自分の才能を再発見して、自分自身への信頼をもっと積み上げることができる。私は、そう信じています。

パーキンソン病患者対象のダンス指導をする田中由美子
(写真:パーキンソン病患者対象のダンス教室)

 

 

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爆睡率92%のベビーダンスを考案。元プロ社交ダンサー。Babywearingdanceの先駆者。 もっとダンスを社会資源として楽しんでいただくために、赤ちゃんを抱っこして踊る「ベビーダンス」のプロデュースや、ビジネスパーソン向けのライフスタイル提案などを行なっています。 元JBDAプロラテンダンスA級競技選手。西部日本ファイナリスト。日本ベビーダンス協会代表理事

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