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怒りがダンスを与えてくれた

踊る意味ってなんだろう。私がダンスを踊って生きていこう、好きなことをして生きていこうと思ったのは、17歳の頃に強烈な怒りを感じてからなのです。

人生の中で、自分でもわからないほどの猛烈な怒りが3回沸き起こったことがあるのですが、最初のその体験は、私をダンスへと駆り立てた転機の怒りでした。

あれは確か高校2年生の時、母が亡くなって姉と二人暮らしをしていた時。クラスメートから、「親に、わけのわからない家に遊び行ってはいけないと言われた」と言われちゃって、だったら私が直接その子の親を説得してあげるよと、その子のお父さんと電話口で話した時でした。

丁寧な態度で自分を知ってもらうために電話をしていたはずが、自分の声のボリュームをコントロールできない。ぶちぎれていたんです。

それまで守られて育ててもらってきただけに、自分自身は何も悪いことをしていないのに、偏見を持たれるということが許せなかったんですね。きっとそういう時代だったんでしょうけど、それが、世間の偏見に向き合った最初の瞬間でした。

大人から自由になるためのダンス

「私のことをよく知らないのに勝手な評価をされる」

今考えてみると、これが私の地雷だったんですが、自分がどんなに好意的であっても、家庭の事情で自分のことを正しく見てもらえない。だったら自分の自由な生き方をしよう。大人の顔色を見て生きていくのはもうやめようってその時思ったんです。

その猛烈な怒りを感じたことをきっかけに、私は大人から自由になり、好きなことをすることに集中することをスタートしました。大好きなダンスでしばらく生きてみて、ダメだったら諦めよう。

自分の将来のためになること、ダンスの基礎のバレエを習いに行ったり、ダンスのお稽古に通ったり、ダンス中心お生活を送るようになっていきました。

私にとってのダンスは、自分が大人から評価されるためのものではなく、自分が自分自身を生きていくための手段。

だから、お稽古でコーチから指導されたことに集中し技術を高めてはいくけど、パフォーマンス本番は、稽古のことは忘れて自分自身が本当のことをすること、踊ることに没頭する。没頭できるように練習する。

私は本番はダンスに没頭しなければいけない、そうしなければいけない理由があったんです。

なぜなら、いつも本番には、亡くなった母がどこかにいるような気がして、母に私はここに居るよと、表現するためには、本物ではないといけないという風に感じていたから。

才能なんてない、あるのは感情だけ

私には、リズム感も、テクニックも、身体的にも、飛び抜けて何か秀でたものがあるというわけではなかったけれど、死者に捧げるダンス、見えないもののために表現するダンス、嘘のない本当ことをするという、本質的なダンスをしていたのだと思います。

実は今日、一日中ビデオの整理をしていて、ダンスを始めた頃からの動画を見ていました。

いろんなことが思い出されて、悔しい思い出も思い出してしまったけれど、誰かの言いつけを守るためだったり、評価のためには踊るよりも、自分の本当の気持ち、本当の感情をダンスに乗せて表現するそれがダンスの意味なんじゃないかな。

ダンスは、一瞬一瞬の出来事だから、心も一瞬一瞬変わるし、感じ方も変わる。いろんな表現があっていい。自分自身であれば。

社交ダンスを始めたて、プロ1年生の頃のダンス貼っておきます。

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